月曜日, 3月 14, 2011

3・11東北関東大震災~大津波~放射能漏れ~計画停電

2011年3月11日(金)14:46・・・、東北の太平洋側を震源地とする大地震発生。

マグニチュードは何度か訂正され、最終的には、9.0・・・。
あの関東大震災より大きいらしい。

いつか、そのうち、大きい地震が来るだろうとは思ってはいたものの、まだまだ先の事と思い込んでいた。
もしかしたら、自分が生きている間には起きないのではとも・・・。

日本では阪神淡路大震災の後はそれほど大きい地震もなかったせいか、このところはもっぱら、ニュージーランド地震の話題で持ち切りだった・・・、そんな矢先、日本でばかでかい地震が唐突に発生した感じだ。

私の場合は、その日は、息子の中学の最後の保護者会であり、仕事先でも年度末までに有給休暇を消化しなくてはならず、お休みをとって珍しく保護者会に出席していた。

まずは14時から全学年の全体会が3階の体育館で行われ、40分後くらいに各学年がそれぞれ指定された場所へと移動となって、3年生は理科室へと案内された。

お茶やお菓子を手渡され、みんなが着席し、これから始まる・・・というその瞬間・・・。
「あっ、地震。。。」
ざわめく声をかき消すかのごとく、揺れはおさまらないどころか、かつて経験した事のないくらいひどい横揺れが続いた。
理科室の机の下に潜り込みながら、すぐ横の窓際に置いてあったビーカーや試験管がガタガタ音を立てながら揺れるのを下に落ちて割れるのではないかと心配しながら、携帯電話を片手に自宅に電話してみる。

息子がもう帰っているはずだし、娘ももしかしたら。。。

そう言えば、いつか消防訓練で地震を体験する機会があったが、まさしくそれに似ていた。
立ってなんかいられない、ただただ、机の脚にしがみついて揺れがおさまるのを待つだけ・・・。

携帯で何度電話をしても、全く通じない。
その場にいた誰もが通じなかった。
仕方なくメールもしたが返信は来ない。
結局、そのメールが夫や息子に届いたのはその2~3時間後だったし、娘の小学校からの集団下校の緊急メールが届いたのもその2~3時間後で・・・、電話もメールも全く役に立たなかった・・・。

帰宅後、NHKのTVで、津波が家々をなぎ倒しながら、破壊しながら、町を飲み込んでいく様をLIVEで、この目で目撃し、絶句した。

津波の破壊力の恐ろしさ、むごさ。

そして、日本の壊滅的状況。
不況が少しうわ向いて来てた矢先だっただけに・・・。

個人的には、だんなの仕事がどうなるのか・・・?
すでに地震のあったその日から数日間予定されていた仕事はキャンセルになり、その後の仕事も全くわからない。
仕事も収入もなくなるのでは・・・?

この東京でも今、ガソリンも食料も何もかもがなくなっている。
物流が滞ってしまっている。

近くのスーパーもコンビニも何もかもが全くなくなり、棚は空っぽだ。

地震による福島の原発の爆発などで電力も不足する事になり、地域毎に停電をする計画停電となる。

ガスの供給もあやういらしいし、そうなれば時機、水道もどうなるか・・・?
インフラがもうやばい・・・。

どうする日本、どうなる日本。

どうする、どうなる、我が家の借金返済・・・。

あと4日後、息子が中学を卒業する。
バブル期を若い頃に経験し、バブルが崩壊した後、息子を妊娠中に阪神淡路大震災が起こり、サリン事件が起こり、超不況が長い間続く中、この大地震が起きて、また大混乱が続く・・・。

ほんとにいったいどうなるのかなー?