木曜日, 3月 23, 2006

恐ろしい塾のはなし

土地柄とか環境とかあるんだろうけど、我が子の回りではみんな学習塾はもちろんの事、それに加えてピアノやバイオリンといった音楽系、そして、サッカーやテニスにプール、バレエ、体操教室といったスポーツ系、はたまた英会話スクールだのお絵かき教室、作文教室、そろばん教室、お習字などなど、みんな実にたくさんのお教室に通っている。
うちはというと・・・?
「おまえは、良いよなあ、何にも習ってなくていつも暇で・・・。」と言われる始末。ただし、去年から学校の部活は唯一やっているから、全くやってないとは言えないのだけれど、もう、高学年、そろそろ塾ぐらいは通わせた方が良いのかしら?でも、でも、まあ、費用を見るたび、ため息ばかり。その上、塾に入るにも試験があるし・・・。
かつて、私も友達に誘われるまま、入塾テストを勝手に受けてしまい、たまたまそれに受かったものだから行く事になって、約5年間行くはめに。
でも、入熟してみるとそこは1人の独裁者のような教師が君臨する最悪の塾だった。威圧的で、ひどく暴力的で、その上、セクハラなんてもんじゃないぐらい猥褻おやじだったのだ。
今思えば、あれはロリコンじじいだったに違いない。
顔がかわいい子はほんとにひどい目に・・・。きっと、その子達は今だにそのトラウマをせおってるんじゃないかしら?私なんて、ぶさいくだったから幸か不幸かそんな目にはあわずにすんだけど。
そして、必ず、「この事を言ったら・・・。」って脅すもんだから、みんな言えずに我慢してひたすら耐えるだけだった。
その教師もだいぶ前に亡くなって今はこの世にはいない様だけど、よく5年間も通ったもんだ。私もだけど、その教師が恐ろしくて恐ろしくて、やめるなんて言えないし、恐いもんだから必死で勉強して成績はぐんぐん上がるから、親は饒舌なその教師にすっかりだまされて、やめろなんて言わないし。
でも、5年目のちょうど高校受験まじかにある事件が起きて・・・。
その教師は油絵も得意としてて、教室に風景画とかを立派な額縁に入れてよく自慢してたんだけど、そんなある日、日頃から「切れ長の目が美しい、美しい。」とほめまくってた私達と同学年の女の子を自宅に連れ込んで、モデルにしたらしいとのうわさが流れ、その上、それ以上の何かが起こったらしいという情報が私の耳に・・・。さっそく、それをつかんだ子と私は塾で同じクラスの子達を近くの公園へ呼び出して、その事に抗議して授業をボイコットしようと呼びかけたんだけど・・・。
真っ赤な夕焼け空の下で、それに賛同したのは優等生2人を除く女子だけ。男子は全員、あとが恐いからって、そそくさと塾に行ってしまった。あの時ほど、男って腰抜けなのねと思った事はない。
そして、その後、私達はどうしたかというと・・・。
その日はそのまま塾をボイコットする形で塾には行かず、日を改めて、みんなで抗議する気持ちともうやめるという事を伝えに冷たい雨の中、塾の裏手にある自宅に赴いた。
当然みんな1人じゃ恐いし、集団とはいえ、14,5才の女の子、冷たい雨の降る夜に、寒いは、恐いはでぶるぶる震えながら、おびえながら玄関の戸をたたいたのを覚えている。
何度、戸をたたいても出てくる気配もなく、でも、中にいるのはわかっていたから、恐ろしさを押し殺してその場で何度もみんなで大声で抗議したけれど、結局その教師が外に出てくる事はなかった。
な~んだ、案外、弱虫だったのね~。
いなかだったし、時代が時代だけに、事件になんてならなかったけど、今だったら、どうだったんだろう。それにしても、その男、やせ細った奥さんとよくも何十年もそんなやり方で塾を経営してたもんだよなあ。だって、ほとんどみんな、なぐられたり、ひっぱたかれたり、時にはさお竹でみみずばれになるほどたたかれたりなんて日常茶飯事だったんだから。その上、小5から中3までのかなりの女の子がひどいセクハラと脅迫に苛まれていたし。
あ~ぁ、思い出すだけでも悪夢なのじゃぁ~。救いは最後の最後に反旗を翻す事ができた事。もう、その男はこの世にはいないわけだけど、思い出すだけで、今でも恐ろしいのだぁ~~~。