金曜日, 12月 30, 2016

仕事納め

今年の仕事納めは通常より早く、仕事初めもいつもより遅い。
って言うか、今年のお正月休みは、異例だ。

大晦日もお正月も関係なく、しかも6日間連続で休めるなんて、今の仕事を初めてからは初めての事。
そして、辞めない限りは、これが最初で最後だろう。

なぜなら、所属部署のオープンが遅れており、今は別部署の応援だから・・・。

単なるお手伝いだから、堂々と休めるってわけ。

うれしいなぁ。
久々にゆっくりできる。

ただ、旦那のお父上が脳梗塞で倒れた事もあり、来年早々、旦那の実家に行かなければならない。
本州最北端まで・・・。

あっちに行って、動きが取れないから車で行くしかなく・・・。
しかも、私は運転できないから、旦那一人で運転してはるばる行かなければならないから超大変だ。
乗ってる方も超疲れる。

雪が深いならさらに・・・。

今年の10月に亡くなった私の母と同年代の旦那の両親の老化も激しく・・・。
友人達の親の訃報を知らせる喪中ハガキも続々と届くようになり、改めて、私もそんな年代になったのだと気づかされる。

あんなに元気だった母が81歳で逝くなんて思いもしなかった。
母の母親も兄弟達も80代後半に亡くなったから、元気な母は、てっきり90代まで生きるのかと・・・。
こんなに早く亡くなるなんてわかっていたら、もっと逢っていたのになーとか後悔ばかりだ。

母の年齢まで私が生きたとしても自分の人生はあと30年もない。

私の残りの人生はどうなるんだろうなぁ~~~。


木曜日, 12月 15, 2016

お腹ぺったんこ目指して!

おととい、朝起きるのがつらくて走るのをさぼり・・・。
昨日は絶対走ろうと思っていたのに、早朝からあいにくの冷たい雨。

二日間走れなかったので今日こそはと思い早朝時間どおりに起きた。
今日は目覚めも良く、快調に気持ち良く走る事ができた。

駒沢公園を1周走り終え、思いの外、足の調子が良かったので2周目も走りたい気分だったけれど・・・。
もう1週走ると・・・。
シャワーを浴びた後、娘を起こして朝食を食べさせる時間が遅くなり、全てが遅れてしまう。

2周走る為には、もっと早く家を出るか、娘がお休みの日だけにするかしかない。

再開し始めたばかりだから、もうしばらく1周にとどめておくかなー?

来年になると、走り始めて多分10周年目になる。
だいぶ、やせたし、どうにかお腹もへこんできたけど、完全にペちゃんこになったわけではない。

つくづくお腹の脂肪と言うものは走るだけじゃ減らないんだと実感する。
10年も走っているのにまだ少し脂肪がついている。
腹筋運動とかしない限りびしっと引き締まらないものなんだなー?

少しづつ、ほんとに少しづつ、脂肪が減っていく感じはあるのだけど、引き締まっていく感じではない。
脂肪がぶよぶよからぷよぷよになり、まるでウォーターベッドみたいにふにゃふにゃなって皮がどんどんたるんできて、ほんとにちょっとづつ皮のたるみが解消していく感じだ。

お腹の脂肪が完全に無くなって、全くでっぱりがなくなるまで、あとどのくらいかかるかしら?

毎朝、お腹ぺったんこを目指して楽しく走って行こうっと。。。


月曜日, 12月 12, 2016

激動の一年

もう秋晴れとは言わないのかなー?
12月も半ばだから・・・。
でも、母の誕生日だった金曜日からずっと、超快晴で、それほど寒くもなく、ほんとにここ数日気持ちの良い日が続いている。

仕事もオープン前なので、有休を取って木曜日から今日までお休みしていて、久々にゆっくりできた。

ランニングも再開して一週間ほどになる。
やっぱ、走るのって気持ちが良い。

今日は珍しく朝8時過ぎに走りに行ったのだけど、このくらいの時間に走るのも悪くない。

何故か、走るようになってか、しばらく休んでいるからか2キロも体重が増えちゃった。。。

働き始めたらまた戻るかしら?

16日にソフトオープン、18日にグランドオープンが終わったら、すぐにクリスマス~お正月かぁ。
今年は、激動の、あっという間の一年だった。

出向となり長い道のりの電車通勤が七カ月も続き、覚えなければならない事もたくさんあった。
有給休暇も使いきっていたから、全く休めなかったし、そんな中での母の急死・・・。

来年は、マンションの役員をやらなければならいし、娘が高3となるので、大学受験も・・・。

息子は来年、本来なら大学4年生のはずだったが、大学を変えたので、まだ大学2年生。
就職までまだまだだ。

ずっと先だと思っていた私達夫婦の老後・・・。
もうすぐそこに・・・。

60代以降、ふつーに暮らしていけるのかしら?



土曜日, 12月 10, 2016

四十九日

予定が合わず、母の四十九日の日には集まれなかったので、どうせならと母の誕生日にと言う事で昨夜集まった。

法要と言うのはお坊さんにお経を読んでもらう事で、法事とはそれの後に会食する事らしいのだけど・・・。
お墓もまだ決まってないし、信心深いわけでもないから・・・。

娘三人と旦那とそれぞれの子供ら、直系の身内だけでお食事会を開いた。

贅沢するのはたまのお寿司や刺身だけで、洋服にも何にもお金を使う事はほとんどなかった母。
化粧っ気もなく、じみ~な質素な感じの母だった。
幼い頃、母があまりに地味なので、洋服は私が選んでいたものだ。
オレンジ色のワンピースとか・・・。

結局、長患いする事もなく逝ってしまった母。
きちんと長年、自分にそれなりの保険もかけてて、介護ヘルパーや掃除などの仕事で必死で働いて稼いだお金をこつこつ貯めててくれてたおかげで。

私達、子供がお金を支払う事は一切なく、全て、母のお金で賄えた。
病院の入院費もお葬式代もお墓代もその他のもろもろ全ての・・・。
ほんとに頭が下がるとしか言いようがない。

ほんとにほんとに私達に一切迷惑をかけずに・・・。

これまでも娘の塾代も払ってもらったり、支払の為のお金もしょっちゅう借りてた。
「連絡してくるのはいつもお金を借りる時だけたい。」とよく皮肉を言われたものだ。
何のお返しもできなかった。。。


あとは、お墓探しかぁ・・・。
抽選に当たると良いのだけど・・・。

そして、私もようやく出向や研修から解放され、元の店に戻り、日常が戻りつつある。
工事が遅れていて、私が所属する部署のオープンは来年の春になるらしいから、まだ先なんだけど・・・。
それまでは、違う部署の応援だから、完全に元に戻ったわけではないけど・・・。
店舗丸ごとリノベーションしたから何もかも新しくなり気持ちが良い。

そして、何より、朝、走る事ができる喜び。
日常に戻ったと言う実感が沸いてくる。

母の真似はできないけど、私達夫婦も子供たちに迷惑をかけない様、貯蓄をしておきたいものだなーとつくづく心の底からそう思う。

一日も早く、さまざまなローンを返済して・・・。
70歳までは頑張らなくちゃだ。
母は81歳で死ぬ直前まで働いていたのだからすごい!!



月曜日, 11月 28, 2016

ブラックフライデー

アメリカの真似をして、初の試みで、25日から27日までの三日間、ブラックフライデーを開催した。

そして、出向は解除されたが、応援の要請があったので、その最終日、行く事になり・・・。

私も含めて、そこの従業員の遅番2~3人を除く人員全てが9時に出勤。
レジも1台増設、8室ある試着室を3つ増やし、寸法を測るためのテーブルも6台増やして・・・。

午前中だけスーツ半額って言うタイムセールに果たしてお客は来るかしら?
しかもこんな早い時間に来るわけないじゃん・・・。
半信半疑のまま、のんきにトイレに向かっていたら・・・。

開店と同時に開いた扉から走り込んで来る集団とすれ違う。

や、やばい、のんきにトイレなんかに行ってる場合じゃないじゃん。
急いで、持ち場に戻った。

あれよあれよと試着室は埋まり、試着を待つ客の行列ができ始める。

股下寸法を計り、HHTなる小さい端末に通常の様に情報を入力して伝票を作成しようとするが・・・。
どれを使ってもサーバーエラーになり、大パニックに・・・。

伝票がなかなか作れない中、試着を終え、伝票作成と会計を待つ客の大行列ができ、皆、あせる、あせる・・・。

ただ、課長の提案だったのだろう、さすがだったのは・・・。
立ったまま待たせないように椅子をずらりと用意していた事。
ブラックフライデーにちなんだ粗品をプレゼントした事だった。
開店前に専用の紙袋の中をちらりとのぞいたら、ブッラックコーヒーとブラックチョコレートともう一個入ってた様な・・・。
そのせいで、比較的皆さんおとなしく待っていてくれた・・・。

結局、見た事もない伝票を使うしかなく・・・。
みんな、てんやわんやだった。
ずっと中腰で寸法を計り、レジとテーブルを行ったり来たりの繰り返しで、もうへとへとくたくただった。

いやぁ、ほんとすごかった。
こんな経験はそうできるもんじゃないから、大変だったけど良かったかなとも思う。

そして、その店舗で働くのはこの日が最終日だったから、少しはお役に立てたかしら?

長かったし、遠かったし、色々な新しい事を覚えなければならなかったからつらく大変だったけど・・・。

広い空間でばたばたといつも忙しい日々は私には合っている様にも思えたり・・・。
でも、やっぱ、遠いのよねー。
元の職場で頑張るかっ!!!

金曜日, 11月 25, 2016

結団式なるもの

今日は昨日とは打って変わって、快晴だった。
昨日はあんなにしめったぼた雪が降り続いて、超寒かったのに・・・。

昨日はお休みだったからほんと良かった。
そして、今日はほんと晴れて良かった。

今日は仕事先の結団式なる集会が近所のホールで行われた。
歩いて10分ほどの場所だったから私的には楽だった。

来賓やらのお偉いさんのお話などが続いた後、各課毎に壇上に上がり、今後の目標など発表していく。
発表後は、全員で、「えい、えい、おー!」って感じのちょっとしたパフォーマンスをして締めくくる。

パートなのに何でこんな事しなきゃならないんだか?
社員だけでやってって感じ。

そもそもが、パートの身でありながら7カ月もの長い間、出向する事自体、あり得ないかも。
まぁ、とりあえず、終わって良かった。

12月に一旦オープンするのだけど、上階の方が工事が遅れているため、私の働く予定の階のオープンはまだまだ先となりそう・・・。

どうなるんだろうな―?
なんだかんだ言って、私の階のオープンまで一年も経っちゃうって事で・・・。
それまでは他の課で働かなきゃならないなんて、とほほだ・・・。

ただ、何にしてもまた徒歩で通えるパート先に戻れるわけだから、良しとするか。。。

とにかく頑張るしかないのだ!!!





木曜日, 11月 24, 2016

初雪

11月24日、早くも初雪なのだ!

寒い。。。

しんしんと降り続いていて、屋根にはうっすら積もっている。

あー、明日、凍結して大変かも。
あー、明日は仕事先の結団式なのだけど、ラッキーな事にうちから徒歩で10分もかからない場所だ。

でも、8時に集合だから、ちょっと早いかな?

雪って、家の中にいて眺めてる分には綺麗だけどねー。




月曜日, 11月 21, 2016

出向解除2

昨日、ついについに本当に出向解除となった。

ほんとにほんとに長かった出向。

最終日の日曜日、午前中、カジュアル側は暇だったので、このまま暇かなぁと思いきや・・・。

お昼休憩後、ビジネス側に入るとどんどこどんどこお客が入りだし、八室ある試着室は常に満杯。
試着しましたベルが鳴り響き、小走りで駆けつけては、膝まづいて裾上げなどのピン留めをして回る。

久々にめまぐるしい忙しさだった。

試着後は、補正寸法を計り、小さい端末機に補正種類、寸法、電話番号など様々な情報を入力し、お会計し、伝票を出力する。
そして、出力された伝票の紙をそれぞれ分けて、お客様に控えを渡し、スーツ上下などにそれぞれその紙を付けて、定位置に置く。

一点ならまだ良いが、複数だとかなりややこしく・・・。

袖丈直しやらネームやウエスト直しに裾上げなど、補正の種類が多いと入力する箇所も当然多くなり超大変。
出力される伝票の紙も大量になるため、振り分けるのも大変だし、その紙を取り付けるのも大変で、補正代をレジでそれぞれ打ち込むのも超超大変だ。
その他にさまざまな割引があったりするとあたふた、あたふた。

間違えてないかと脳はぐるぐる、心臓はドックンドックンだ。

さらにその上、
「やっぱ、配送してもらおうかな?」なんて事になると、配送伝票に商品コードなど色々、細々書き込まねばならなくて・・・。
とか、「やっぱ、もう一点増やそうかな?」とか「違うのに変えて良い?」とかになると目が飛び出そうになる。



今日はお休みなのだけど、出向先の方々がどうしても私達の送別会をやりたいと言うので、今夜、その飲み会が行われる。

これまで何度も飲み会に誘われたけれど、遠いのでずっとお断りをしてきただけに、送別会はさすがに断れず・・・。

そして、明日は、元の職場の着任式。
正式に元の職場の従業員となる。

本当に今年は激動の一年なのだ。


金曜日, 11月 18, 2016

出向解除

娘の三泊四日の修学旅行もあっという間で、今日、帰宅となる。

それにしてもラインと言うのはほんと便利だ。
ラインで送られてくる写真で、現在の雰囲気や楽しさが伝わって来る。
会話もできるし・・・。

ガラケーのメールよりはるかに打ち込むのも楽だし、早いし、写真も電話もすぐにできるし・・・。

母は最後までガラケーで、メールの仕方が覚えられず、メールのやり取りができなかった。
スマホにして、ラインにしてればなー。
簡単だったのに・・・。
そしたら、もっと頻繁に連絡できたはず。

そんな私もスマホにしたのは結構最近である。
こんなに便利ならもっと前からやっときゃ良かった。

まだ、ガラケーのメールも使っているけれど、スマホと比べるとボタンを押すのに指先の力が案外いるのがわかる。


明日とあさって出向先へ行けば、とうとう出向が解除となり出向と言う立場から解放される。
みんな、今となってはあっという間だったねと言うけれど、私にとっては長かった。
ほんとに長かった。

この出向先から本来の仕事先に通えるようになって余裕が出たら、母に連絡し、ゆっくり会うつもりだった。

12月は母の誕生日だから、何か送ろうかとも考えていたのに・・・。
本当に残念で残念でたまらない。
お正月も孫達にお年玉を持って、訪れたのに違いない。


出向解除になってもこの先まだ研修や、また出向先のセールの応援やらをこなし、オープン準備をこなし・・・。
工事が遅れているらしく分断オープンとなるから、それまでは他の売場の応援。

あーぁ、モチベーション保つの大変だ。
疲れるわぁ!!!


火曜日, 11月 15, 2016

修学旅行に旅立った娘

今日から三泊四日で、娘の修学旅行だ。
珍しい事に、この学校の修学旅行は何故かずっと長崎へ行っている。
そして、三泊のうち二泊は民泊なので、娘としては緊張しているようだ。

その民泊・・・、農業、魚業、林業などを営むお宅にそれぞれ分かれ、それぞれの体験をするらしい。
娘は、漁業を営むお宅らしく、魚釣りを体験するとの事。
もしかしたら、おいしいお刺身を食べられるかも・・・。

長崎は私の生まれ育った故郷なので、娘に私のかつて見ていた景色をじっくり見て来て欲しい。

父が亡くなった時に長崎には行っているのだけど、息子が五歳くらいで、娘はまだ一歳半だったから何も覚えていないだろう。
父の死後、実家は処分し、母は上京してきたので、もう長崎に帰る事は殆どないだろうなぁ。
五十代に入って上京し、この東京でずっと働いてきた母だったけど、三十年くらいいたって事かぁ。

またいつか、母と長崎を訪れたかったなぁ。
もうかなわないけれど・・・。

朝七時十五分に羽田空港の太陽の塔に集合だったので、まだ真っ暗な中二人で出かけた。
電車やモノレールを乗り継ぎ、集合場所に時間通りに着いたのだけど、改めてパスモの便利さに感心した。
昔なら、いちいち路線図を見て切符を買わなきゃで、超めんどくさかったけど、今はチャージさえしていれば、タッチするだけでどんどん乗り継ぎが可能だ。
ほんと、便利になったものだ。


娘を送り出した後、空港内をチェックしながらうろうろして、出向先の方々へのお礼品を探しに渋谷や三茶を散策。

久々に一人でゆったりとぶらぶらできて爽快だった。
これで、お金があれば、なおのこと良いのだけどね~~~。

金曜日, 11月 11, 2016

母からの年賀状

母が亡くなって一カ月が過ぎた。

喪中はがきを出すために、今年のお正月にきた年賀状を調べていたら・・・。
母からの年賀状を見つけ・・・。
見ざる言わざる聞かざるのかわいい三猿のイラストが描かれたハガキ・・・。

母のやさしい懐かしい文字に涙があふれる。

この文字を見る事ももうないんだなーと思うと超悲しい。



金曜日, 11月 04, 2016

まだまだ悲しいのだ!!!

だいぶ寒くなって来た。

さわやかな秋は今年もなくて、もうそこに冬がやってきている。

日中はそれほど寒くは無いけど、朝晩は結構寒い。

そして、日も短くなってきていて、帰りはすっかり真っ暗だ。

朝の駅までの道のり、駅からの帰りの道のり、ふいに母の事が頭に浮かび涙があふれる。

どこにも連れて行ってあげられなかったし、
どこかへお買い物に行く事もなかったし、食事に出かける事もなかった。

病院へのお見舞いももっと行っておけば良かったのに、躊躇してしまった。

あー、もう、自分が情けないのだ。。。

もう死んでしまったから、もう骨になってしまったから、何もしてあげられない。

母の姿を思い出しては涙が止まらない。
つらいのだ!

悲しいのだ!!!

月曜日, 10月 31, 2016

ハロウィン

今日は、旦那の誕生日でもあり、ハロウインの日でもあり・・・。

ハロウインと言えば、小さい頃にスヌーピーのアニメだかまんが本で初めて知った。
チャーリーブラウンやルーシー達が、仮装して近所の家々にお菓子を貰いに行く・・・。

そして、もっとはっきりそれを認識したのは、高校一年生の時・・・。
私が通っていた高校は、ミッションスクールだったせいか英語の先生がイギリスかアメリカ人の先生が多かった。
その中でも超恐い大柄な女性の先生がいて、少しでもこそこそ話をしようものなら、
「クワイアト!」と大声で叱られたものだ。

なので、みんな、いつもびくびくしていたのだけど・・・。
ある日の事、その先生が教室に入るや否や何かを配りだし、まさか小テスト?と緊張していると・・・。
なぜかそれはスヌーピーのイラストのカードで、いつになく急に明るい笑顔と大声で、
「今日は、何の日か知ってる?今日はハロウインの日よ。」とかなんとか色々と英語で語り始めた。

そして、自分が子供の頃の仮装した写真も複数枚配り、ハロウインって言うのはこんな感じなんだよと教えてくれた。

今でもその光景は脳に焼き付いている。

何となく知ってはいたけど、ハロウインがどんな行事なのかってのを認識した日でもあった。
その日から、もう、四十年近くが経ってしまったかぁ。。。

百貨店やらスーパーなどのディスプレイの仕事を二十年近くしていた中で、ハロウインと言うものが中々根づかず、
「日本人にはねー。」などとすっかり諦めていたのに、ここ数年、仮装すると言う行動が相まって、にわかにクローズアップされてきた。

びっくりだ。
あれだけ長い間、一般人に見向きもされなかったハロウインが・・・。

今ではそんなグッズでいっぱいだ。

渋谷は仮装した若者であふれ、バレンタインデーをしのぐほどの盛況ぶりなのだとか。
ほんとびっくりとしか言いようがない。


もう少し経つとクリスマス気分で一色になる。

あーぁ、もうクリスマスかぁ。
今年もあと二カ月しかない。
ほんとにほんとにあっという間だ。

金曜日, 10月 28, 2016

後悔先にたたずなのだ

母が亡くなり、聞けなかった音楽もどうにか聞けるようになったものの・・・。
やっぱりふと思い出して涙があふれる。

どうして人って死ぬのだろう。
どうして母は突然死ななければならなかったのだろう。

死に方がまたひどい。
激痛でのたうちまわりながら死んでいくなんて、かわそうでかわいそうで。
どうしても割り切れない思いが残る。
ずっと苦労続きで、つらい仕事ばかり頑張ってた。
やっとこの十数年は幸せそうだったのに。

私は母の最終章からは外れてしまったけど。
ねじれた糸は最後までほどけなかった。

でも、私が外れた事で、離れた事で、母は幸せに過ごせたんじゃないかなとも思う。

あのままこの近くにいたら、ずっとあの悲惨な汚いみじめなアパート暮らしだったかもしれない。

私たち姉妹の絶縁があったから、母達は離れた土地に去り、現在の大きなマンションに巡り合い、新たな土地での仕事や友達とも出会い・・・。

人生ってほんとに不思議だ。
いつも思う。
少し進むと必ず二手に分かれた道が立ちはだかる。
選択の人生。

選択を間違えるととんでもない方向に・・・。

あの時・・・、そしてあの時・・・。
あの時、こうすれば良かった、ああすれば良かったと後悔しても遅い。

もし、東京に出て来ていなかったら、今頃私はどうしていたんだろう。
プログラマーの仕事を続けていたらどうしていたんだろう。
ディスプレイの仕事を続けていたら・・・。
結婚していなかったら・・・。
子供を産んでいなかったら・・・。
このマンションに引っ越していなかったら・・・。
母達をこちらに呼んでいなかったら・・・。

後悔しても遅いのだ。
でもどうしても後悔が襲ってくる。
いつまでも、いつまでも・・・。



月曜日, 10月 24, 2016

後悔の嵐は止まない。。。

母の死去から2週間が過ぎた。
2週間・・・。
まだたったの2週間か。
ものすごく長い時間が過ぎた様だけど。

何だかぽっかり穴が開いた感じだ。

もう二度と逢えないのかと思うととてつもなく淋しい。

仕事先の今年の春からの激変とこの半年の出向が無かったら、もう少し時間と心の余裕もあったのに・・・。

忙しさと疲労の中、母への気持ちが遠のいていた。
足腰もかなり弱っていたと聞いていたから、もう、あまり逢えないのかなとも思っていた。

母の日のプレゼントを上げようと思いながら気がついたら過ぎてしまっていて・・・。
敬老の日に・・・とも思いながら、また過ぎてしまい、じゃあ、12月の誕生日に・・・と思っていたら・・・。

母はメールはできないから電話するしかないのだけど、電話はとにかく苦手なので、結局しないまま・・・。

病院へのお見舞いも入院して一週間後に一回だけ。
てっきり、元気に退院するのかと確信していた。
もっと行くべきだった。
後悔、後悔、後悔ばかり。

亡くなる前々日の夜、旦那に「明日一緒にお見舞いに行かない?」と言おうとしたが・・・。
亡くなる前日の夜、仕事帰りにお見舞いに行こうかとかなり迷いながら、疲れに任せて行かなかった。
超後悔。
行けば良かった。

どうして、どうしてと後悔ばかり。

あー、後悔。
もう逢う事はできないのだ・・・。


金曜日, 10月 21, 2016

悲しみと後悔の嵐

母が亡くなってから今日で12日目。
葬儀を終えて六日目。

少しづつ悲しみは収まりつつあるかと思ってもふと気付くと涙ぐんでいる。
母の姿を思い出しては涙ぐむ。
初老のご婦人を見ると母の姿が重なって泣けてくる。
やっぱりまだまだ悲しさは終わらない。

そして、さまざまな母への後悔の念が後から後から襲いかかって来る。

いつかこんな日が来るとは思っていたけど、こんなに突然やって来るとは思いもしなかった。

すでに高齢ではあったけど、病気らしい病気もしないで元気だったから。
本人もすごく健康には気を使っていたし・・・。

シルバー人材センターでの介護施設のお掃除の仕事も入院する二日までしていたらしいし。
ゴスペルの習いごとでは、もうすぐ発表会で、ソロで歌う箇所があったらしく、一生懸命練習していたとの事だったし。
童謡クラブでは仲良しがたくさんいて、いつもおしゃれして出掛けてたらしいし。

ただ、ちょっと、最近足がよたよたしてたけど。

最後の最後があまりにもかわいそう。
軽い気持ちで行った病院で、まさか激痛に苦しみながらそのまま死んでいくなんて・・・。
心の準備も何もなくのたうちまわりながら死んでいくなんて。

姉や妹に比べて母への距離が遠かった私。
二人きりになると沈黙が・・・。
何を話せば良いのか・・・。
だから、電話だともっと話す事はなく・・・。

「あんたが電話してくるのはいつもお金のいる時だけなんだから。」
そういつも言われてた。

入院する前までは幸せだった母。

今年の春だったか、私が母にとっていつが一番幸せだったのか尋ねた時、
「今が一番幸せたい。」と満足そうに言ってたのが思い出される。

もっともっと長生きできるはずだったのになー。


日曜日, 10月 16, 2016

告別式と9と悲しみ

当初の予定では告別式は朝9時からだったのだけど、あのキャンセル騒ぎで、会場が変わり、時間も12時からに変更になっていた。
親族は11時に集合ではあったけど、朝9時からなら、さらにその前の8時に集合なわけで、それだったらかなりきつかったと思う。

お通夜ではかなり遅い時間まで飲んでいたから、みんな睡眠不足だろうし、飲みすぎた人はその上二日酔いだったはずだから。

旦那の車で、会場には集合時間ぎりぎりに到着した。

会場はこじんまりしていて、お花も十分だったし、人数的にもちょうど良かった。
思っていたものよりかなり良い会場だった。

一応、飾るお花は、喪主から、私達娘から、孫一同、親戚一同などからだったが、前日旦那の提案で、旦那のお父さん、二人のお姉さん、旦那本人からのお花を出してもらった事が幸いだった。
それが無かったらちょっと淋しかったかも。

その上、私の勤め先から三つも大きめのお花が届いていて、それも功を奏した。
弔電はあると思うけど、お花は無理かもと言われていたのでかなり驚いた。
パートながら組合費は取られているので、当然ともいえるけど、元々の所属会社からと出向先の会社から、そして組合からと三つも送られてすごく嬉しかった。

弔電も5通も。
事務的なんだろうけど、重なった弔電がたくさん置かれている光景は身内として嬉しいものだ。
有難いと思った。
これからも頑張って働かなきゃと思う。

そんなお花に囲まれ、お坊さんのお経が響く中、最後に棺の中にみんなでお花をたくさん入れて、棺の窓を閉じる・・・。
さようなら。

火葬場に運ばれ、ついに火葬になったのだけど、燃やす箇所の番号が9番だったので、たまたまではあるだろうけど、びっくりした。

10月9日に亡くなり、火葬の番号が9番、誕生日が12月9日と何故だか9が続く。

苦労続きの母だったけど、最後まで9が付きまとう。

火葬された直後、娘である私達三姉妹だけが呼ばれ、寝た状態で燃やされたままの骨を確認する。
かなりリアルだった。
もう母の肉体は無いのだと確信した。
本当に本当にこれで、お別れだ。

その後、私達含め親戚たち全員で骨壷に長い箸で骨を入れていき、その後、担当者が手順よく全ての骨を骨壷に入れた。

81歳という年齢で入れ歯でもなく、燃やされてもこのように歯が残っている方は珍しいとか。
その上、骨がかなりしっかりしていて、骨壷いっぱいになる方もかなり珍しいのだとか。
喉仏もしっかりしていたし・・・。
やっぱり、死ぬような段階ではなかったと思う。
もっともっと長生きできたはずだ。

母だって、まさかこれで二度と家に帰れないなどと思ってもみなかったと思うと悲しくて悔しくて。

悔やんでも悔やみきれない母の死。
悔やんでももう戻らない。

告別式が終わり、母の骨と共に姉の家に戻った。
姉妹のわだかまりはなくなっていた。

これから、お墓を探さなければならない。

母の故郷に母が入れるお墓はあるようだが、いかんせん遠すぎる。
近い方が、いつでもお参りに行けるのだから、近いところが見つかると良いな。

今時はどこのお墓も入れてもらうには抽選なのだと言うから、大変そうだ。
運よく見つかると良いけど。
私達も母と同様、くじ運が悪いからどうだろう・・・。

ふとした瞬間に母の姿や表情が目に浮かぶ。
これから、悲しみがあとからあとから波の様に追って来るのだろうな。

毎朝、出勤時にイヤホンで音楽を聞いていたけれど、しばらくは聞けそうにない。


お通夜

納棺された翌日、姉の自宅マンションでのお通夜に旦那と長男、長女を連れて電車で向かった。

夕暮れの中、最寄駅からそのマンションまでの長い道のりをとぼとぼ歩く。
かなりの距離だ。
うっすらと暗い夜空に果てしなく長い長い龍のようなうろこ雲が流れていた。

足腰が弱っていた母はこの長い道のりを何かの度にとぼとぼと歩いていたのだろうなー。

旦那は何度か我が家に遊びに来た母を車で送ったりしていたので、姉の家には行った事があるが私が行くのは初めてだった。

ピンポーン・・・。

「どうぞ。」との姉の声。
インターフォン越しにわいわいがやがやと親戚たちのにぎやかな声が漏れ聞こえてきた。

緊張の面持ちの中、部屋に入る。

リビングルームに母の兄弟姉妹の子供達、要するにいとこたちとその子供達がたくさんすでに集まっていた。

この親戚たちと会うのも母の一番上の兄のお葬式でだったか、かなり久々だった。

「お前も老けたなー。」と言われ、月日の流れを感じる。
そのいとこたちもみんな老けていた。

リビングルームの角の方に棺が置かれていて、中を覗き込む。
その中の母の顔は、病院にお見舞いに行った時のやせ細ってしわしわだった顔とは全く違い、綺麗にしわが伸ばされ、若々しくなっていた。

ちょっと、伸ばし過ぎで、普段の母の表情とは少し違っていたけれど、とても美しい顔になっていた。
やっぱり、連れて帰ってきて正解だったし、納棺師に綺麗にしてもらって本当に良かった。

宗教心もないし、一回のお布施が15万円だと言うので、お通夜にお坊さんは呼ばず、みんなで母の話をして泣いたり笑ったりした。
それで良いと思った。
母が近くで笑っている様な気がした。
母からすると娘達、かわいい孫達、可愛がった甥や姪、その子供たちの賑やかな声に囲まれて良かったのだと・・・。

みんなべろんべろんに酔っ払い、母のお通夜が終わった。

納棺までの話

母が9日の早朝に亡くなり、駆けつけた後、担当医がやってきて、
「何が原因なのかわからないので、死亡診断書には老衰と書いて良いでしょうか?」と言う。

老衰?

入院する二日前までシルバー人材センターでのお掃除の仕事をしていたと言う母。
このところリウマチっぽかったと言う母がめずらしく痛みを訴えたので、通院していた病院に行ってみたのが始まりだった。

入院するほどでもないがどうしますか?と最初は言われたらしいが、早くその痛みが治ればと軽い気持ちで姉が入院させたらしい。
しかし、その翌日の漢方薬の投与から容体が激変した。
体中に赤い発疹が出て、激痛が体中に走り、口の中の粘膜はただれ、口の中が血だらけになり、血が固まって口が開かないほどだったと言う。
舌の先が真っ白になり、何も口から受け付けられなくなり・・・。
3週間、何も食べられないまま、のたうちまわり、激痛のあまり叫びながら、死亡した。

我慢強い性格がたたって、看護師の扱いも悪く、医師の扱いも最悪だった。
最悪の看護師たち、最悪の医師たち、最悪の病院。
軽視され・・・、運が悪かった・・・。
でも、それで、人間って死んでしまうのだ。
私も少しの間だったが救急救命センターに勤めていたが、看護師や医師とは本当に恐ろしい職業だなと改めて思う。


霊安室に運ばれる前、私がたまたま持っていたファンデーションや口紅で死に化粧をして・・・。
そしてその後、病院の地下に常駐している葬儀屋と打ち合わせをする事に・・・。

その日は葬儀屋に言われるままに割安だと言う区の会場で、通夜と告別式をやる事に決めた。

お通夜までの間は通常、保存のために病院の地下にある霊安室から冷蔵庫の様な所に移されて保管されると言う。
私は保存状態の為にもかわいそうだけどそれで仕方がないと主張したのだけど、妹がどうしても住んでいた自宅マンションに連れ帰りたいと言う。

自宅に入る時は大丈夫だけれど、棺に入れて自宅を出る時に2メートルある棺がエレベーターに入らなければ、階段を使うしかないそうだけど・・・。
まだ、マンションが2階だから、葬儀屋の二人と誰かでおろす事は可能だと言われ・・・。

妹は末っ子で母とは一番仲が良かったし、入院中も毎日お見舞いに行っていたわけで、妹の言う通り、自宅に移す事に決めた。

その夜、姉が通夜は自宅でやりたいので、通夜だけキャンセルで、告別式はそのままで・・・とその葬儀屋の担当者に電話で伝えていたはずだったのだけど・・・。

翌日の11時に最終打ち合わせで、最終的な事を詰めようとしていた私達だったが・・・。

なんか、話がかみ合わない???

かみ合わないまま、話していると、
「えっ?両日ともキャンセルじゃなかったんですか?」と葬儀屋のまさかのお言葉。

「はっ?」びっくりして一瞬絶句する姉。
「昨日も申し上げた通り、通夜は自宅でやり、告別式は昨日の打ち合わせ通りでお願いしたいと言いましたよね。」
「要は、通夜の一日をキャンセルするだけで、告別式は予約したいと言う事で・・・。」

「え~っっっ?もうキャンセルしちゃったので・・・・。」と言いながら慌てふためく担当者・・・。

電話で確かめていたが、申し訳なさそうに、
「もう、他の予約が入っているので、無理です。通夜と告別式は通常二日セットなので、キャンセルと言う事はどちらもだと思いまして・・・。
そんな話、聞いてないし・・・、最初からセットだって言えよなー。

そんなこんなで、改めて式場を探してもらい、私の職場にも式場の変更を慌ててメールで伝えた。

母の死亡の当日と翌日まで霊安室に置いておき、その翌日午後に自宅マンションに運んだ。
到着後の翌日、葬儀屋がドライアイスを換えに来てくれて、その翌日に納棺師に綺麗にしてもらい納棺。

私は仕事で行かれなかったけれど、納棺の際、お気に入りの衣類や写真などを入れて納めたと妹からメールが入った。
私があげたラベンダーのアルパカのセーターも入れてもらった。

いろいろな事でずっと疎遠になっていた妹とのメールのやり取りが始まった・・・。





日曜日, 10月 09, 2016

我が母、逝去!後悔さきにたたず、そして、弱り目に祟り目なのだ!!!

今日は仕事先の重要なセールで、しかも日曜日。
気合いを入れて、いつものように5時半に起きてシャワーを浴びていた。

寝ているはずのだんなが、風呂場のドアの向こうで何か叫んでいる。

「なぁに?」シャワーを止めて聞き返す。
「今、電話があって・・・。」
「・・・・・。」

う、うそでしょ?
まさか・・・。
母の容体が急変したとの姉からの電話だった。

足早に駅へと向かっていたが、その途中で携帯電話に電話が入る。
「今どこ?亡くなったって。」
慌てて、大通りに出てタクシーを捕まえた。

「○○の○○大学病院に行って下さい。」
私の言う病院名をナビに入力しようとする運転手だったが、大学のだの濁点が入れられない様子。
「その病院の住所わかりますか?」そう聞いてくる。
旦那に電話して行き方を聞き、運転手に教える。
やっと着いたかと思えば、その病院ではなく、系列の研究所だった。
「こんなとこじゃありませんよ。大通り沿いのはずですけど。」

どしゃ降りの中、それでもどうにか着いたが、母はすでにもう・・・。

二週間前にお見舞いした時、かなり痛がってはいたけど、死ぬ病気ではないと思ってた。
てっきり復活するかと・・・。

少し良くなったら転院するとも聞いていたので、転院してからまたお見舞いに行けば良いかと・・・。

おとといだったか?
母が夢に出て来た。
元気そうででうれしそうに笑ってて、何か会話したのだけど・・・。
思い出せない。

昨日の夜、仕事の帰りにお見舞いに行こうかと思っていた・・・。
疲れていたし、足が痛くて、二子玉川の駅の時点で時間はもう7時をまわっていたのであきらめた。
その時間から、電車に乗って行ったとして、8時までの面会時間にだといくらもないしなぁ・・・とか・・・。
同室の人に迷惑かなぁとか・・・。

今さらだけど、最後に行っとくべきだった。
行けば良かった。。。
会話ができたかどうかはわからないけど、まだ息をしていたはずだ。

82歳だと思っていたが、12月の誕生日でだった。
81歳で死ぬとは・・・。

もっと長生きかと思ってた・・・。

そんな夜、脳梗塞で倒れて入院しているだんなのお父さんのお見舞いがてら観光に行っていた息子からの電話・・・。
「観光先でお金を盗まれた。」と・・・。

弱り目に祟り目だ。