月曜日, 10月 31, 2016

ハロウィン

今日は、旦那の誕生日でもあり、ハロウインの日でもあり・・・。

ハロウインと言えば、小さい頃にスヌーピーのアニメだかまんが本で初めて知った。
チャーリーブラウンやルーシー達が、仮装して近所の家々にお菓子を貰いに行く・・・。

そして、もっとはっきりそれを認識したのは、高校一年生の時・・・。
私が通っていた高校は、ミッションスクールだったせいか英語の先生がイギリスかアメリカ人の先生が多かった。
その中でも超恐い大柄な女性の先生がいて、少しでもこそこそ話をしようものなら、
「クワイアト!」と大声で叱られたものだ。

なので、みんな、いつもびくびくしていたのだけど・・・。
ある日の事、その先生が教室に入るや否や何かを配りだし、まさか小テスト?と緊張していると・・・。
なぜかそれはスヌーピーのイラストのカードで、いつになく急に明るい笑顔と大声で、
「今日は、何の日か知ってる?今日はハロウインの日よ。」とかなんとか色々と英語で語り始めた。

そして、自分が子供の頃の仮装した写真も複数枚配り、ハロウインって言うのはこんな感じなんだよと教えてくれた。

今でもその光景は脳に焼き付いている。

何となく知ってはいたけど、ハロウインがどんな行事なのかってのを認識した日でもあった。
その日から、もう、四十年近くが経ってしまったかぁ。。。

百貨店やらスーパーなどのディスプレイの仕事を二十年近くしていた中で、ハロウインと言うものが中々根づかず、
「日本人にはねー。」などとすっかり諦めていたのに、ここ数年、仮装すると言う行動が相まって、にわかにクローズアップされてきた。

びっくりだ。
あれだけ長い間、一般人に見向きもされなかったハロウインが・・・。

今ではそんなグッズでいっぱいだ。

渋谷は仮装した若者であふれ、バレンタインデーをしのぐほどの盛況ぶりなのだとか。
ほんとびっくりとしか言いようがない。


もう少し経つとクリスマス気分で一色になる。

あーぁ、もうクリスマスかぁ。
今年もあと二カ月しかない。
ほんとにほんとにあっという間だ。

金曜日, 10月 28, 2016

後悔先にたたずなのだ

母が亡くなり、聞けなかった音楽もどうにか聞けるようになったものの・・・。
やっぱりふと思い出して涙があふれる。

どうして人って死ぬのだろう。
どうして母は突然死ななければならなかったのだろう。

死に方がまたひどい。
激痛でのたうちまわりながら死んでいくなんて、かわそうでかわいそうで。
どうしても割り切れない思いが残る。
ずっと苦労続きで、つらい仕事ばかり頑張ってた。
やっとこの十数年は幸せそうだったのに。

私は母の最終章からは外れてしまったけど。
ねじれた糸は最後までほどけなかった。

でも、私が外れた事で、離れた事で、母は幸せに過ごせたんじゃないかなとも思う。

あのままこの近くにいたら、ずっとあの悲惨な汚いみじめなアパート暮らしだったかもしれない。

私たち姉妹の絶縁があったから、母達は離れた土地に去り、現在の大きなマンションに巡り合い、新たな土地での仕事や友達とも出会い・・・。

人生ってほんとに不思議だ。
いつも思う。
少し進むと必ず二手に分かれた道が立ちはだかる。
選択の人生。

選択を間違えるととんでもない方向に・・・。

あの時・・・、そしてあの時・・・。
あの時、こうすれば良かった、ああすれば良かったと後悔しても遅い。

もし、東京に出て来ていなかったら、今頃私はどうしていたんだろう。
プログラマーの仕事を続けていたらどうしていたんだろう。
ディスプレイの仕事を続けていたら・・・。
結婚していなかったら・・・。
子供を産んでいなかったら・・・。
このマンションに引っ越していなかったら・・・。
母達をこちらに呼んでいなかったら・・・。

後悔しても遅いのだ。
でもどうしても後悔が襲ってくる。
いつまでも、いつまでも・・・。



月曜日, 10月 24, 2016

後悔の嵐は止まない。。。

母の死去から2週間が過ぎた。
2週間・・・。
まだたったの2週間か。
ものすごく長い時間が過ぎた様だけど。

何だかぽっかり穴が開いた感じだ。

もう二度と逢えないのかと思うととてつもなく淋しい。

仕事先の今年の春からの激変とこの半年の出向が無かったら、もう少し時間と心の余裕もあったのに・・・。

忙しさと疲労の中、母への気持ちが遠のいていた。
足腰もかなり弱っていたと聞いていたから、もう、あまり逢えないのかなとも思っていた。

母の日のプレゼントを上げようと思いながら気がついたら過ぎてしまっていて・・・。
敬老の日に・・・とも思いながら、また過ぎてしまい、じゃあ、12月の誕生日に・・・と思っていたら・・・。

母はメールはできないから電話するしかないのだけど、電話はとにかく苦手なので、結局しないまま・・・。

病院へのお見舞いも入院して一週間後に一回だけ。
てっきり、元気に退院するのかと確信していた。
もっと行くべきだった。
後悔、後悔、後悔ばかり。

亡くなる前々日の夜、旦那に「明日一緒にお見舞いに行かない?」と言おうとしたが・・・。
亡くなる前日の夜、仕事帰りにお見舞いに行こうかとかなり迷いながら、疲れに任せて行かなかった。
超後悔。
行けば良かった。

どうして、どうしてと後悔ばかり。

あー、後悔。
もう逢う事はできないのだ・・・。


金曜日, 10月 21, 2016

悲しみと後悔の嵐

母が亡くなってから今日で12日目。
葬儀を終えて六日目。

少しづつ悲しみは収まりつつあるかと思ってもふと気付くと涙ぐんでいる。
母の姿を思い出しては涙ぐむ。
初老のご婦人を見ると母の姿が重なって泣けてくる。
やっぱりまだまだ悲しさは終わらない。

そして、さまざまな母への後悔の念が後から後から襲いかかって来る。

いつかこんな日が来るとは思っていたけど、こんなに突然やって来るとは思いもしなかった。

すでに高齢ではあったけど、病気らしい病気もしないで元気だったから。
本人もすごく健康には気を使っていたし・・・。

シルバー人材センターでの介護施設のお掃除の仕事も入院する二日までしていたらしいし。
ゴスペルの習いごとでは、もうすぐ発表会で、ソロで歌う箇所があったらしく、一生懸命練習していたとの事だったし。
童謡クラブでは仲良しがたくさんいて、いつもおしゃれして出掛けてたらしいし。

ただ、ちょっと、最近足がよたよたしてたけど。

最後の最後があまりにもかわいそう。
軽い気持ちで行った病院で、まさか激痛に苦しみながらそのまま死んでいくなんて・・・。
心の準備も何もなくのたうちまわりながら死んでいくなんて。

姉や妹に比べて母への距離が遠かった私。
二人きりになると沈黙が・・・。
何を話せば良いのか・・・。
だから、電話だともっと話す事はなく・・・。

「あんたが電話してくるのはいつもお金のいる時だけなんだから。」
そういつも言われてた。

入院する前までは幸せだった母。

今年の春だったか、私が母にとっていつが一番幸せだったのか尋ねた時、
「今が一番幸せたい。」と満足そうに言ってたのが思い出される。

もっともっと長生きできるはずだったのになー。


日曜日, 10月 16, 2016

告別式と9と悲しみ

当初の予定では告別式は朝9時からだったのだけど、あのキャンセル騒ぎで、会場が変わり、時間も12時からに変更になっていた。
親族は11時に集合ではあったけど、朝9時からなら、さらにその前の8時に集合なわけで、それだったらかなりきつかったと思う。

お通夜ではかなり遅い時間まで飲んでいたから、みんな睡眠不足だろうし、飲みすぎた人はその上二日酔いだったはずだから。

旦那の車で、会場には集合時間ぎりぎりに到着した。

会場はこじんまりしていて、お花も十分だったし、人数的にもちょうど良かった。
思っていたものよりかなり良い会場だった。

一応、飾るお花は、喪主から、私達娘から、孫一同、親戚一同などからだったが、前日旦那の提案で、旦那のお父さん、二人のお姉さん、旦那本人からのお花を出してもらった事が幸いだった。
それが無かったらちょっと淋しかったかも。

その上、私の勤め先から三つも大きめのお花が届いていて、それも功を奏した。
弔電はあると思うけど、お花は無理かもと言われていたのでかなり驚いた。
パートながら組合費は取られているので、当然ともいえるけど、元々の所属会社からと出向先の会社から、そして組合からと三つも送られてすごく嬉しかった。

弔電も5通も。
事務的なんだろうけど、重なった弔電がたくさん置かれている光景は身内として嬉しいものだ。
有難いと思った。
これからも頑張って働かなきゃと思う。

そんなお花に囲まれ、お坊さんのお経が響く中、最後に棺の中にみんなでお花をたくさん入れて、棺の窓を閉じる・・・。
さようなら。

火葬場に運ばれ、ついに火葬になったのだけど、燃やす箇所の番号が9番だったので、たまたまではあるだろうけど、びっくりした。

10月9日に亡くなり、火葬の番号が9番、誕生日が12月9日と何故だか9が続く。

苦労続きの母だったけど、最後まで9が付きまとう。

火葬された直後、娘である私達三姉妹だけが呼ばれ、寝た状態で燃やされたままの骨を確認する。
かなりリアルだった。
もう母の肉体は無いのだと確信した。
本当に本当にこれで、お別れだ。

その後、私達含め親戚たち全員で骨壷に長い箸で骨を入れていき、その後、担当者が手順よく全ての骨を骨壷に入れた。

81歳という年齢で入れ歯でもなく、燃やされてもこのように歯が残っている方は珍しいとか。
その上、骨がかなりしっかりしていて、骨壷いっぱいになる方もかなり珍しいのだとか。
喉仏もしっかりしていたし・・・。
やっぱり、死ぬような段階ではなかったと思う。
もっともっと長生きできたはずだ。

母だって、まさかこれで二度と家に帰れないなどと思ってもみなかったと思うと悲しくて悔しくて。

悔やんでも悔やみきれない母の死。
悔やんでももう戻らない。

告別式が終わり、母の骨と共に姉の家に戻った。
姉妹のわだかまりはなくなっていた。

これから、お墓を探さなければならない。

母の故郷に母が入れるお墓はあるようだが、いかんせん遠すぎる。
近い方が、いつでもお参りに行けるのだから、近いところが見つかると良いな。

今時はどこのお墓も入れてもらうには抽選なのだと言うから、大変そうだ。
運よく見つかると良いけど。
私達も母と同様、くじ運が悪いからどうだろう・・・。

ふとした瞬間に母の姿や表情が目に浮かぶ。
これから、悲しみがあとからあとから波の様に追って来るのだろうな。

毎朝、出勤時にイヤホンで音楽を聞いていたけれど、しばらくは聞けそうにない。


お通夜

納棺された翌日、姉の自宅マンションでのお通夜に旦那と長男、長女を連れて電車で向かった。

夕暮れの中、最寄駅からそのマンションまでの長い道のりをとぼとぼ歩く。
かなりの距離だ。
うっすらと暗い夜空に果てしなく長い長い龍のようなうろこ雲が流れていた。

足腰が弱っていた母はこの長い道のりを何かの度にとぼとぼと歩いていたのだろうなー。

旦那は何度か我が家に遊びに来た母を車で送ったりしていたので、姉の家には行った事があるが私が行くのは初めてだった。

ピンポーン・・・。

「どうぞ。」との姉の声。
インターフォン越しにわいわいがやがやと親戚たちのにぎやかな声が漏れ聞こえてきた。

緊張の面持ちの中、部屋に入る。

リビングルームに母の兄弟姉妹の子供達、要するにいとこたちとその子供達がたくさんすでに集まっていた。

この親戚たちと会うのも母の一番上の兄のお葬式でだったか、かなり久々だった。

「お前も老けたなー。」と言われ、月日の流れを感じる。
そのいとこたちもみんな老けていた。

リビングルームの角の方に棺が置かれていて、中を覗き込む。
その中の母の顔は、病院にお見舞いに行った時のやせ細ってしわしわだった顔とは全く違い、綺麗にしわが伸ばされ、若々しくなっていた。

ちょっと、伸ばし過ぎで、普段の母の表情とは少し違っていたけれど、とても美しい顔になっていた。
やっぱり、連れて帰ってきて正解だったし、納棺師に綺麗にしてもらって本当に良かった。

宗教心もないし、一回のお布施が15万円だと言うので、お通夜にお坊さんは呼ばず、みんなで母の話をして泣いたり笑ったりした。
それで良いと思った。
母が近くで笑っている様な気がした。
母からすると娘達、かわいい孫達、可愛がった甥や姪、その子供たちの賑やかな声に囲まれて良かったのだと・・・。

みんなべろんべろんに酔っ払い、母のお通夜が終わった。

納棺までの話

母が9日の早朝に亡くなり、駆けつけた後、担当医がやってきて、
「何が原因なのかわからないので、死亡診断書には老衰と書いて良いでしょうか?」と言う。

老衰?

入院する二日前までシルバー人材センターでのお掃除の仕事をしていたと言う母。
このところリウマチっぽかったと言う母がめずらしく痛みを訴えたので、通院していた病院に行ってみたのが始まりだった。

入院するほどでもないがどうしますか?と最初は言われたらしいが、早くその痛みが治ればと軽い気持ちで姉が入院させたらしい。
しかし、その翌日の漢方薬の投与から容体が激変した。
体中に赤い発疹が出て、激痛が体中に走り、口の中の粘膜はただれ、口の中が血だらけになり、血が固まって口が開かないほどだったと言う。
舌の先が真っ白になり、何も口から受け付けられなくなり・・・。
3週間、何も食べられないまま、のたうちまわり、激痛のあまり叫びながら、死亡した。

我慢強い性格がたたって、看護師の扱いも悪く、医師の扱いも最悪だった。
最悪の看護師たち、最悪の医師たち、最悪の病院。
軽視され・・・、運が悪かった・・・。
でも、それで、人間って死んでしまうのだ。
私も少しの間だったが救急救命センターに勤めていたが、看護師や医師とは本当に恐ろしい職業だなと改めて思う。


霊安室に運ばれる前、私がたまたま持っていたファンデーションや口紅で死に化粧をして・・・。
そしてその後、病院の地下に常駐している葬儀屋と打ち合わせをする事に・・・。

その日は葬儀屋に言われるままに割安だと言う区の会場で、通夜と告別式をやる事に決めた。

お通夜までの間は通常、保存のために病院の地下にある霊安室から冷蔵庫の様な所に移されて保管されると言う。
私は保存状態の為にもかわいそうだけどそれで仕方がないと主張したのだけど、妹がどうしても住んでいた自宅マンションに連れ帰りたいと言う。

自宅に入る時は大丈夫だけれど、棺に入れて自宅を出る時に2メートルある棺がエレベーターに入らなければ、階段を使うしかないそうだけど・・・。
まだ、マンションが2階だから、葬儀屋の二人と誰かでおろす事は可能だと言われ・・・。

妹は末っ子で母とは一番仲が良かったし、入院中も毎日お見舞いに行っていたわけで、妹の言う通り、自宅に移す事に決めた。

その夜、姉が通夜は自宅でやりたいので、通夜だけキャンセルで、告別式はそのままで・・・とその葬儀屋の担当者に電話で伝えていたはずだったのだけど・・・。

翌日の11時に最終打ち合わせで、最終的な事を詰めようとしていた私達だったが・・・。

なんか、話がかみ合わない???

かみ合わないまま、話していると、
「えっ?両日ともキャンセルじゃなかったんですか?」と葬儀屋のまさかのお言葉。

「はっ?」びっくりして一瞬絶句する姉。
「昨日も申し上げた通り、通夜は自宅でやり、告別式は昨日の打ち合わせ通りでお願いしたいと言いましたよね。」
「要は、通夜の一日をキャンセルするだけで、告別式は予約したいと言う事で・・・。」

「え~っっっ?もうキャンセルしちゃったので・・・・。」と言いながら慌てふためく担当者・・・。

電話で確かめていたが、申し訳なさそうに、
「もう、他の予約が入っているので、無理です。通夜と告別式は通常二日セットなので、キャンセルと言う事はどちらもだと思いまして・・・。
そんな話、聞いてないし・・・、最初からセットだって言えよなー。

そんなこんなで、改めて式場を探してもらい、私の職場にも式場の変更を慌ててメールで伝えた。

母の死亡の当日と翌日まで霊安室に置いておき、その翌日午後に自宅マンションに運んだ。
到着後の翌日、葬儀屋がドライアイスを換えに来てくれて、その翌日に納棺師に綺麗にしてもらい納棺。

私は仕事で行かれなかったけれど、納棺の際、お気に入りの衣類や写真などを入れて納めたと妹からメールが入った。
私があげたラベンダーのアルパカのセーターも入れてもらった。

いろいろな事でずっと疎遠になっていた妹とのメールのやり取りが始まった・・・。





日曜日, 10月 09, 2016

我が母、逝去!後悔さきにたたず、そして、弱り目に祟り目なのだ!!!

今日は仕事先の重要なセールで、しかも日曜日。
気合いを入れて、いつものように5時半に起きてシャワーを浴びていた。

寝ているはずのだんなが、風呂場のドアの向こうで何か叫んでいる。

「なぁに?」シャワーを止めて聞き返す。
「今、電話があって・・・。」
「・・・・・。」

う、うそでしょ?
まさか・・・。
母の容体が急変したとの姉からの電話だった。

足早に駅へと向かっていたが、その途中で携帯電話に電話が入る。
「今どこ?亡くなったって。」
慌てて、大通りに出てタクシーを捕まえた。

「○○の○○大学病院に行って下さい。」
私の言う病院名をナビに入力しようとする運転手だったが、大学のだの濁点が入れられない様子。
「その病院の住所わかりますか?」そう聞いてくる。
旦那に電話して行き方を聞き、運転手に教える。
やっと着いたかと思えば、その病院ではなく、系列の研究所だった。
「こんなとこじゃありませんよ。大通り沿いのはずですけど。」

どしゃ降りの中、それでもどうにか着いたが、母はすでにもう・・・。

二週間前にお見舞いした時、かなり痛がってはいたけど、死ぬ病気ではないと思ってた。
てっきり復活するかと・・・。

少し良くなったら転院するとも聞いていたので、転院してからまたお見舞いに行けば良いかと・・・。

おとといだったか?
母が夢に出て来た。
元気そうででうれしそうに笑ってて、何か会話したのだけど・・・。
思い出せない。

昨日の夜、仕事の帰りにお見舞いに行こうかと思っていた・・・。
疲れていたし、足が痛くて、二子玉川の駅の時点で時間はもう7時をまわっていたのであきらめた。
その時間から、電車に乗って行ったとして、8時までの面会時間にだといくらもないしなぁ・・・とか・・・。
同室の人に迷惑かなぁとか・・・。

今さらだけど、最後に行っとくべきだった。
行けば良かった。。。
会話ができたかどうかはわからないけど、まだ息をしていたはずだ。

82歳だと思っていたが、12月の誕生日でだった。
81歳で死ぬとは・・・。

もっと長生きかと思ってた・・・。

そんな夜、脳梗塞で倒れて入院しているだんなのお父さんのお見舞いがてら観光に行っていた息子からの電話・・・。
「観光先でお金を盗まれた。」と・・・。

弱り目に祟り目だ。

金曜日, 9月 23, 2016

頑張れ、母!!

8時頃、家の電話が鳴った。
アッ、電話・・・。
気づいたが、留守電状態になって何か吹き込む様子になったら出ようかと思いしばらく様子を見ていたら、切れたのでそのまま出なかった。

また、勧誘の電話だな。

台所にいた旦那が、
「電話?」と聞くので
「どうせ、勧誘だよ。」と答えた。

7時過ぎから9時の間に、頻繁に塾や家庭教師や化粧品、保険などの勧誘の電話があるからなのだけど。

と、思ってたら、立て続けにまた電話が鳴った。

えっ、何?
何だろう・・・?

慌てて電話に出ると・・・。

疎遠だった妹からだった。

母が体調が急に悪くなり、入院していると言う。

「私・・・。あのね・・・。」
「久しぶり・・・。あんたの声、そんな声だったっけ?(母の事・・・、)わかった。金曜日、仕事が休みだからお見舞いに行くよ。」

電話を切ろうとした時、妹が「ちょっと待って・・・。」と言って誰かに変わった。
出たのは同じく疎遠になってた姉で、最も会話をしたくない相手だったけど、まぁ、こんな時だから仕方が無い。

「あのさぁ、あんた、私の事、着信拒否してない?留守電にもならないから、代わりにかけてもらったんだけど。」と姉が不機嫌そうに言う。

アッ、さっきの姉からの電話だったんだ。
「着品拒否なんかしてないけど。勧誘の電話が多くて出なかっただけだけど・・・。」
「あっそう。ふ~ん。」

あー、相変わらずだ・・・。
やっぱ、この人とは無理・・・。


そして、今日、娘を連れて母のお見舞いに行ったが、かなり弱っていたし、痛がっていて、話しかけるのも悪いようで。
6人部屋の真ん中で、狭くて、私たちが座るスペースもなく・・・。

82歳の母。
どうかな?

経過を見ないとわからない。
頑張れ、母・・・。



金曜日, 9月 09, 2016

もう少し・・・。

9月なのに、まだまだ蒸し暑い事...。

でも、夜になると鈴虫が鳴いているから、やっぱもう秋なのかなー。

早く涼しくなってほしいよー。

昨日、レジ的には暇だったのだけれど、セールのための値下げシール貼りが山のようにあり、手がやばい。

既存の値下げシールの数字が間違っていたため、紙に印刷した物になったからいちいち切り離し、その紙の上下にセロテープで貼り付ける。
段ボールからドレスシャツを取り出し、貼り付けては戻す作業。

1000枚以上はゆうに超えていたから、さすがに手が疲れた。

今日もまだ手が疲れてる。

でも、何も作業が無くて暇なのは最悪なので、やることがあって良かった。

近頃、ふと何でこんな仕事してるのかなーなんてしょっちゅう思う・・・。

でももうこの年じゃあ、やめるわけにはいかない。
このまま続けるしかない。
もう少し頑張るかな?



月曜日, 9月 05, 2016

もうすぐ。

台風が去ったかと思ったらまた新たな台風が九州の方に接近しているとか・・・。
そのせいか相変わらず蒸し暑い。
涼しくなるのはまだまだ先きかな?

ようやく出向先から戻れる時期が決まった。
と言ってもまだ先だけど・・・。

今の職場で働くのは11月の20日までの様・・・。
今月、来月、再来月・・・、まだ結構あるじゃん。
次のシフト、次の次のシフトまで・・・。

まぁ、でも、やっと時期がはっきりしたから少し安心。

今の職場には4月の末から通ってるわけで、もう5か月は過ぎている。
すっかり今の職場の一員となっているわけで、
「遠いよねー、遠いよねー。」と主任には何度も聞かれ、
「当然、残るんだよね。戻るわけないよね。」なんてみんなにも言われる毎日。
「いやー、残りたいのはやまやまなんですけど、如何せん遠いので・・・。近ければね・・・。」と言葉を濁すしかない。

ただ、元の職場に戻れるとはいえ、新たに別のスタイルで生まれ変わるようなので、どうなることやら・・・。
それはそれで超大変そう。

今の職場の主任もさっぱりしていてとっても良い方だし、距離が近ければいても良いかなーなんて一瞬思ったりもするけど、やっぱ、ちと遠すぎる。

近頃、認識したのだけど、私って広い環境で働くのが好きみたい。
狭いと息苦しいっていうか・・・。

なので、広さでいえば、今の職場はばっちりなのだけど。

でもまぁ、徒歩で通える上、何もかも新しくなった元の職場に戻れることはとりあえず喜ばしいのだ!!!
あと数か月、今の職場で頑張るのだー!




木曜日, 9月 01, 2016

ご~ろ、ごろ。。。

ぶつぶつが完全に治るまで10日ほどかかった。
いやぁー、皮膚に塗るものは気を付けないといけない事を痛感した。

消費期限にも気をつけなきゃいけない事も・・・。

介護の資格取得の為の研修で介護施設に行った時、御老人に薬用のクリームを塗るには看護師の資格がないとダメなんだと知り・・・。
たかだか、クリームをほんのちょっと塗るだけなのになーなんて思ったりしたけど・・・。
やっぱ、皮膚に塗る事って結構危険な事なのねー。


私のぶつぶつ症状が一番ひどい時、たまたまオリンピックで卓球の試合が夜中にあった時だったからか・・・。
ぶつぶつを通り越してむくんだように腫れた私の顔を見て勘違いしたようで・・・。
「もしかして、卓球朝まで見てたでしょ。すぐわかっちゃった。」なんて言われ・・・。
「わかっちゃいました?朝まで見ちゃって、寝不足なんですよ。」とごまかし笑いで何とかやり過ごしたのだけど。

しわやたるみよりも大敵のぶつぶつにはおそれいったぜ、ほんと。

とにかく治って良かったぁー。

そんなこんなで、気が付けば今日からセプテンバー。
9月かぁ。。。

台風が去った翌日の朝は、嘘のように湿気のない涼しい朝を迎えたのにまた蒸し暑さがぶり返し・・・。

今日も蒸し暑く、またまた台風が南の方で発生したようで・・・。
いつになったら涼しくなるかなー・・・。

うちの職場では今月の中日からビジネスフェアなるセールが始まるらしく、今日はその研修だった。
あーぁ、忙しくなるんだろうなー。

働かないで家でずっと絵を描いたり、本を読んだり、音楽聞いたりしてゴロゴロしていたいなー。

ご~ろ、ごろ、してたいなー。。。


火曜日, 8月 16, 2016

ぶつぶつきもっ!

昨日の朝の事だ。
首のあたりが何だか変。
手で触るとに何だかざらつく感じ・・・。
顔の皮膚も何か変・・・。

今朝になって、顔の頬のあたりからその下の首のあたりまで赤いぶつぶつが・・・。
少したって、腕にも少し・・・。
えっ?なんで・・・。

考えてみたら・・・。
使っていた乳液がなくなったので、残しておいた使い切りの小さいパッケージに入った乳液を使ったなー。

いつの物だったのかも何も気にせず、表面に書いてあるMILKの文字を確認し、乳液だよねと認識しただけで・・・。
封を切って出してみると、小さいパッケージの割には量が多く・・・。
これなら二回に分けて使えば良かったと後悔したりしながらも、顔、首、腕にたっぷりと塗ったのだ。

今にして思えば、いつの物かもわからない。
古かったんだなきっと・・・。
やばい、消費期限が切れてたとか、腐ってたとか・・・。


あ~ぁ、ぶつぶつがひどい。
かゆくもなってきた。

たまたま、今日はお休みだったから良かったようなものだけど。

いつだか、有名なメーカーの化粧水だか乳液で、白く色素が抜けるという被害があり、話題になったことがあったっけ。

このぶつぶつ、治るかしら?
不安・・・。

あー、憂鬱。
明日、仕事先で、ぶつぶつきもいと思われるだろうなー。
顔に塗るものにもっと注意しなければ。。。
今さらながら思うおばかな私なのでありました。

金曜日, 8月 12, 2016

ワキゲ

「それって本当にワキゲって言うの?」
インスタントラーメンに添える細めの青ねぎを切っているのを見たのか、高2の娘が唐突に聞いてきた。

「えっ?ワキゲ・・・?」絶句する私に同じ事をまた繰り返す。

「ワキゲじゃないよ。ワケギだよ。」と腹を抱えて笑う私に、
「ワケギって言うの?だって、パパが、これはワキゲって言うんだよって言ったもん。」と言いながら驚いている。

「パパに騙されたんだよ。まじで信じてたわけ?今気づいて良かったねー。」

ほんと、まじで世間でそれ言ったらやばいでしょ。
頭、おかしいと思われちゃうじゃん。
良かった、良かった。

それにしても高2にもなって、信じるかねー?


月曜日, 8月 08, 2016

銀座アスターでランチ

近所のスーパーでバイトをしている高2の娘が、ランチをおごってくれると言うので、私の仕事がお休みの日に二人で出かけた。

中華が良いねと言う事で、近い距離の中華料理屋をスマホで検索。

もわ~っとした猛暑の中、とりあえず一番近い、「安くておいしい。」と言うふれこみの店へ向かった。

途中、ラーメン屋が立ち並んでいたので、ラーメンでも良いかなと頭をよぎる。
でも、中華と決めたのだからと先へ進むとちょうどその店に入っていく汗まみれの作業着姿の二人が見えた。
一見、小さくて汚い感じの暗い店・・・。
もしかしたらおいしいのかもしれないけど、せっかくちょいましな格好をしているのにそんなところでランチなどできない。

えーっ、あそこ?
「・・・・・。」

二人は絶句したまま、そこを通り過ぎた。

これからどうする?
「駅に戻って電車で二子玉にでも行こうか。」
と、娘が、
「ここをひたすらまっすぐ行くと二子玉だよ。何度か行ったし。」と言うので、そのままひたすらまっすぐ歩いて行く。

うだるような暑さの中、ずんずん歩いて行く娘の後をとぼとぼ歩いていると、娘が、
「何か違う。こんな景色じゃなかった。」
そう言い始めた。

来る途中、道路標識に三茶の文字があったのを覚えていたので、
「じゃぁ、三茶に行こう。」と言って三茶へ向かった。

三茶で中華なら、銀座アスターだね。

エビチリがどうしても食べたいと娘が言うので、値段を見ると、単品で税抜きで2500円以上もする。
それなら、コースのランチにしようと二人、別々のランチにした。

それにしても銀座アスターって高いのねー。
ランチでもどんだけーなお値段。
しかも、超お上品な量で、味も超薄く、ちょいと食い足りなさが残る・・・。
ただ、超お上品な空間での超お上品なひとときがもたらす超お上品な気分に酔いしれることはできたので、満足、満足。

娘に感謝!
「ありがとう。ごちそうさまでした。」

金曜日, 8月 05, 2016

3カ月ぶりにRUN

出向になり、仕事先が変わったので、通勤時間が片道1時間半もかかる。
慣れない電車通勤で疲れもあるし、時間の余裕もなくなったので、10年近く続けていたランニングを5月からやめていたのだけど・・・。

3カ月ぶりに、走ってみた。

いやぁー、太ももの筋肉が衰えてる、衰えてる・・・。
超ノロノロでしか走れない。

でも、やっぱ、走ると気持ち良いのだ。

けたたましく鳴く蝉の声の中を走るのって、この季節にしかできない。
蝉の声に生命力を感じながら走る。

今日はとりあえず一周だけ走った。
これから徐々に走るの再開しようっと。

朝の時間が足りないからせめてお休みの日だけでもね。




火曜日, 8月 02, 2016

千代の富士逝去

元横綱の千代の富士がすい臓がんで61歳で逝去。
あんなに健康そうな方が・・・。
しかも、まだ61歳で・・・。

本当にがんとは恐ろしい。
61歳でなんて、若すぎるよ。
こんなじゃ、私もあと何年生きられるのか恐くなる。
何が起きるかなんてわからない。

息子がまだ一歳半頃、胆管にビー玉状の胆石が詰まり、胆嚢炎だとわかって長期入院したことがある。

痰液の状態が良くなるまで手術ができないため、ずっと痛みに耐えなければならなかった。
夜になると猛烈に痛みが襲ってきて、その度にこんなに痛みが続くならもう死んでも良いかもなんて頭によぎったものだ。

当初は痰液がどす黒かったのだけど、お腹に突き刺してぶら下げていた袋の中の痰液が次第に濁りのないレモン色に変わった時、やっと手術ができることになり・・・。
胆嚢を取り除くため、当時珍しかった腹腔鏡手術が行われ、状態が良くなると「生きててよかった。」と心の底から思ったことを今でもしっかり覚えている。
ほんと、生きてて良かった。

病気はほんとにしたくないものだけど、またいつかきっと襲い掛かってくるんだろうなー。

この頃、年を取り寿命が減っていくことの恐ろしさを痛感する。

こわいわー。。。

金曜日, 7月 29, 2016

ついに梅雨が明けた!

昨日、やっと東京は梅雨明け宣言。
梅雨が明けた。

今朝は晴れて、夏らしい大きな雲がゆっくりと動いていて、まるでジブリに出てくる雲みたいだった。
ラピュタもそうだし、ナウシカもそうだし、魔女の宅急便もトトロもそうだ。

この季節の入道雲やでっかい雲は大好き。
セミのけたたましい鳴き声も生命力を感じる。
そして、あのくそ暑さがもうすぐやってくる。
湿気がなければ良いんだけどなー。

合併する前の会社で2月に健康診断を受けたのに、今の会社でまた健康診断を受けた。

去年は胃の検査を受けたものの受けなくても良いのだと聞き、2月は受けずにいたら今度の健診では受けなければならず・・・。

結局、バリウムを飲む羽目に。
バリウムを飲むのは大して苦ではないのだけれど、その後が最悪なのだ。

下剤を4錠いただき、便秘しない体質なら2錠で良いんじゃないかと言われたので、2錠飲んでみたら、まぁ、下る、下る。
翌日までずっとその下りが続き、そのまた翌日もおなかの調子が悪かった。
やっぱ、下剤は飲まなきゃ良かったのかなー?
せめて1錠で良かったのかな?

でも、まぁ、無事に健診が終わってホツ。

まぁ、おそらく今回もLDコレステロールだけ多いんだろうな。

体重は年々、減ってるのになぜだか2年前からLDコレステロールが基準値を超えるようになった。
年齢的な事と毎晩のようにビールを飲んでるから仕方ないか・・・。

健康の事が気になる様な年になったのねー、私も。。。







金曜日, 7月 22, 2016

美大へ

まだまだジメジメ。
まだ梅雨明けしないのだ!

数日前に娘と女子美のオーオプンキャンパスに行って来た。

美大に行きたがっている娘だが、美大は医大と同様に入学金も授業料もかなり高い。
ただ、女子美には短大コースもあり、短大から四大に編入できるとか。

だったら、短大でも・・・。

でも、就職の事を考えると圧倒的に芸大か武蔵美か多摩美か・・・。

芸大には受かるわけがないしなー。
上野毛キャンパスなら我が家から近いから多摩美を目指すかな。

他の大学のオープンキャンパスにも行ったがt、女子美はその中で一番感じが良かった。
こじんまりしていて、女子高らしいかわいさと清潔感があって・・・。

人見知りの娘にとっては通いやすい大学だと思う。

学食もかわいいし、安くておいしいし・・・。

どうなるのかなー?

木曜日, 7月 14, 2016

じめじめな季節

本格的にじめ~っ、もわ~っとした季節がついに到来。

電車通勤も2カ月を過ぎたけど、この季節の人々の体温・・・。
中年以上の男性の加齢臭と汗の匂い・・・。

べとべとした腕と腕が触れて、ぺっとりキモチ悪い。

あー、早く電車通勤が終わってほしい。
あと3カ月半、我慢しなければならない。

今の職場では片道1時間半、往復だと3時間、パートで出向の身での修業・・・疲れるぅ。
ストレスなのだ、だいぶ慣れたけど・・・。

そして、12月に元々のお店がオープンしたら、今度は新たなシステムで、新人さんたちに教えていかなければならないという重責が待っている。

半年間、修業してきた成果が問われるわけで。

大変なのだ=。。。